「人生のシークレット Ⅰ」~苦悩の根源としての承認欲求からの離脱~

【2016/6/11 初版】

Nonfiction, Social & Cultural Studies, True Crime, Espionage, Religion & Spirituality, Philosophy, Business & Finance
Cover of the book 「人生のシークレット Ⅰ」~苦悩の根源としての承認欲求からの離脱~ by 櫻井 哲雄, 櫻井哲雄
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Author: 櫻井 哲雄 ISBN: 1230001412147
Publisher: 櫻井哲雄 Publication: November 3, 2016
Imprint: Language: Japanese
Author: 櫻井 哲雄
ISBN: 1230001412147
Publisher: 櫻井哲雄
Publication: November 3, 2016
Imprint:
Language: Japanese

       人生のシークレットⅠ ~苦悩の根源としての承認欲求からの離脱~
                【2016/06/11初版】

短時間で手軽に読める人生のハンドブックです。
しかし、中身は、哲学、宗教、スピリチュアル等々のエッセンスです。
日々、携帯し、みなさんの心の支えにしていただければ、著者として、うれしいかぎりです。

***********************************************************
【目次】
第1部 苦悩の根源としての承認欲求
第2部 承認欲求を滅尽し、苦悩から離脱し、平安、自由、幸福を取り戻したここ ろへ
第3部 慈悲喜捨希(じひきしやき)、そして慈悲喜捨希勇(ゆう)の人生へ
************************************************************

第1部 苦悩の根源としての承認欲求

近現代人の苦悩の根源とは何か。

それは、子どものときは、無かったものである。
もしくは、社会が都市化するまでは、あまり無かったものである。
我々が、成長するにつれ、学校や会社や何らかの組織のなかで生きるうちに、
つまり、人間社会のなかで生きるうちに、身につけてきたものである。

それは、どこまでも、承認されたいという欲求である。

もっと、もっと、もっと、認められたい。
もっと、もっと、もっと、注目されたい。
もっと、もっと、もっと、受け入れられたい。
もっと、もっと、もっと、すごいと言われたい。
もっと、もっと、もっと、愛されたい。
もっと、もっと、もっと、尊重されたい。
もっと、もっと、もっと、好きと言われたい。
もっと、もっと、もっと、感謝されたい。

これらは、すべて、過剰かつ不自然なる承認への欲求である。
これが、近現代人を、ありとしあらゆる苦悩と悪徳と争いの淵であるダークサイドに落とし込んでいる悪魔的なる情動、心的フォースの正体である。

ルソーは、近現代人が向かおうとしているこうした方向に、本能的な危険を感じ取り、
「人は、数多くの人が生きる都会のなかで、本来持ち合わせていなかった情念と引き替えに、生まれながらに持ち合わせていた、深いやすらぎと、心の自由と、澄み切った晴れ渡る大空のような幸福感とを失い、焦りと苦悩と悪徳とに退廃していく。生来の自然なるあなたに還れ。」
と警鐘を鳴らした。

「自然に還れ」とは、なにも「原始生活に還れ」と言ってるのでは無い。
「承認や評価への執着から離れ、心を生来の自然な状態に戻せ。心をリセットせよ。」
と言っているのだ。

科学技術に基づく現代文明はすばらしい利便や体験をもたらしてくれる。
それはその通り。さらに進化発展繁栄させていくべきものである。

しかし、人は、人口過密の都会的な文明社会のなかで、負けまいとして、頭角を現そうとして、追い立てられ、急き立てられ、恐れ、焦り、がむしゃらになって、競争のなかに組み込まれていくとき、承認されること、評価されること、認められることに過剰な執着や欲求が生じる。

こうした承認されること、評価されること、認められることへの過剰な執着、欲望は、以下の心の六毒である「貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)、慢(まん)、疑(ぎ)、怖(ふ)」を燃え上がらせる根源的なダークサイド(暗黒面の)フォース(精神エネルギー)となる。

「貪」とは、承認欲求によって拍車を掛けられ(ドライブを掛けられ)、コントロールが効かなくなった不自然な本能的欲求のこと。

「瞋」とは、承認欲求が満たされないことからなされる他者への攻撃であり、私憤のこと。自分の利益、プライド、信条を守るための激情をともなう他罰的な粗暴な言動。無私と冷静さと理性と威厳のあるコントロールされた公憤とは対局にある怒り。

「痴」とは、承認欲求が満たされないことから生ずる点においては瞋と同じだが、攻撃が自分に向かうこと。自己卑下、自己処罰、自己嫌悪、自己憐憫、罪悪感、悲観、後悔、絶望、無価値感、虚無感などのこと(これは謙虚さや反省とは「似て非なるもの」。謙虚さや反省とは、自分の価値を否定することではなく、自分の心と言動の過ちを認めて修正するとともに、自分の価値や可能性を信じて前向きになること。謙虚さや反省とは、自己の価値や可能性や希望を信じ確認することであり、また、自己の価値や可能性や希望を信じ確認できるからこそできることでもある。)。この上なく愚かなことであるから痴と言える。

「慢」とは、強引に、安易に、承認欲求を満たさんとして、虚勢を張ったり、上から目線で他人を見下したり、あらを探したり、ことあるごとに批判したり、馬鹿にしたり、偉そうな態度をとったり、横柄な言動をとったりすること。また、自分のみが正しいとして、人の意見を聞かず、自分の見方、判断、意見、主張に固執すること。頑迷なこと。

「疑」とは、望むほどには、求めるほどには、理想とするほどには認めてくれない、承認してくれない周囲の人々や社会に対して疑心暗鬼となり、「嫌われている。無視されている。仲間外れにされている。憎まれている。非難されている。迫害されている。」といった被害感、被害妄想を膨らませること。

「怖」とは、①「疑」によって生じる底無しの寂しさや不安をともなう恐怖感のこと。②すべての人から認められたいと思うがゆえに、自分を評価しなかったり、敬遠したり、嫌悪したり、批判したりする人がいることを、繰り返し思い詰め、恐怖し、悲嘆し、絶望すること。③好意や優しさや愛情を得たい(承認されたい)と思うあまり、嫌われることを極度に恐れ、怯えること。心からの好意や愛情や感謝からの自然でさりげない態度や言動(相手は、深い喜びや幸せを感じるため、お互いに好意を抱くようになり、友情や恋愛が成立する)ではなく、嫌われることへの極度の恐怖感から、不自然な態度や言動によって、相手に、過剰に、合わせたり、媚びたり、おせっかいを焼いたり、与えたり、奉仕したりすること(相手は、本能的に、疲れたり、不快に感じたり、嫌悪感を抱いたりするため、関係は続かない。うまくいかない人間関係、特に男女間でよく見られる状況)。

以上、承認への過剰な執着や欲望と、そこから派生する六毒は、この世において、ありとしあらゆる諍いと憎しみと闘争のドラマを生む悪魔的なるものの根源的なる力となる。

勇ましい以下のような気概を、内に秘めていたいものだ。

「人や社会一般の言うことに耳を傾け、素直に、学ぶべきは学び、参考にすべきは参考にし、守るべきは守らなくてはならない。社会人として生きるうえで、それは、そのとおり。しかし、そのうえで、『我のすること我のみぞ知る』(坂本龍馬)。せっかく、俺は俺として生まれてきたのだ。人生数十年。たとえ人に嫌われようが(※6)、俺がよりよき時代を切り開く先達になるというくらいの勇ましく雄々しい気概をもたないでどうする。それによって、批判され、非難され、疎んぜられ、斬られて死ぬなら、それも本望だ。自分を殺して、本来のよき衝動を宿している自分を押し殺して、『死んだ自分』を生きるよりましだ。たとえ、死んだとしたって、どっちみち、生まれる前は死んでいたんだ。人間は皆死んでいく。死んで無くなればそれまでだし、永遠の生命があるのなら、もとの世界に還るだけのことだ。」

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                【2016/06/11初版】

短時間で手軽に読める人生のハンドブックです。
しかし、中身は、哲学、宗教、スピリチュアル等々のエッセンスです。
日々、携帯し、みなさんの心の支えにしていただければ、著者として、うれしいかぎりです。

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【目次】
第1部 苦悩の根源としての承認欲求
第2部 承認欲求を滅尽し、苦悩から離脱し、平安、自由、幸福を取り戻したここ ろへ
第3部 慈悲喜捨希(じひきしやき)、そして慈悲喜捨希勇(ゆう)の人生へ
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第1部 苦悩の根源としての承認欲求

近現代人の苦悩の根源とは何か。

それは、子どものときは、無かったものである。
もしくは、社会が都市化するまでは、あまり無かったものである。
我々が、成長するにつれ、学校や会社や何らかの組織のなかで生きるうちに、
つまり、人間社会のなかで生きるうちに、身につけてきたものである。

それは、どこまでも、承認されたいという欲求である。

もっと、もっと、もっと、認められたい。
もっと、もっと、もっと、注目されたい。
もっと、もっと、もっと、受け入れられたい。
もっと、もっと、もっと、すごいと言われたい。
もっと、もっと、もっと、愛されたい。
もっと、もっと、もっと、尊重されたい。
もっと、もっと、もっと、好きと言われたい。
もっと、もっと、もっと、感謝されたい。

これらは、すべて、過剰かつ不自然なる承認への欲求である。
これが、近現代人を、ありとしあらゆる苦悩と悪徳と争いの淵であるダークサイドに落とし込んでいる悪魔的なる情動、心的フォースの正体である。

ルソーは、近現代人が向かおうとしているこうした方向に、本能的な危険を感じ取り、
「人は、数多くの人が生きる都会のなかで、本来持ち合わせていなかった情念と引き替えに、生まれながらに持ち合わせていた、深いやすらぎと、心の自由と、澄み切った晴れ渡る大空のような幸福感とを失い、焦りと苦悩と悪徳とに退廃していく。生来の自然なるあなたに還れ。」
と警鐘を鳴らした。

「自然に還れ」とは、なにも「原始生活に還れ」と言ってるのでは無い。
「承認や評価への執着から離れ、心を生来の自然な状態に戻せ。心をリセットせよ。」
と言っているのだ。

科学技術に基づく現代文明はすばらしい利便や体験をもたらしてくれる。
それはその通り。さらに進化発展繁栄させていくべきものである。

しかし、人は、人口過密の都会的な文明社会のなかで、負けまいとして、頭角を現そうとして、追い立てられ、急き立てられ、恐れ、焦り、がむしゃらになって、競争のなかに組み込まれていくとき、承認されること、評価されること、認められることに過剰な執着や欲求が生じる。

こうした承認されること、評価されること、認められることへの過剰な執着、欲望は、以下の心の六毒である「貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)、慢(まん)、疑(ぎ)、怖(ふ)」を燃え上がらせる根源的なダークサイド(暗黒面の)フォース(精神エネルギー)となる。

「貪」とは、承認欲求によって拍車を掛けられ(ドライブを掛けられ)、コントロールが効かなくなった不自然な本能的欲求のこと。

「瞋」とは、承認欲求が満たされないことからなされる他者への攻撃であり、私憤のこと。自分の利益、プライド、信条を守るための激情をともなう他罰的な粗暴な言動。無私と冷静さと理性と威厳のあるコントロールされた公憤とは対局にある怒り。

「痴」とは、承認欲求が満たされないことから生ずる点においては瞋と同じだが、攻撃が自分に向かうこと。自己卑下、自己処罰、自己嫌悪、自己憐憫、罪悪感、悲観、後悔、絶望、無価値感、虚無感などのこと(これは謙虚さや反省とは「似て非なるもの」。謙虚さや反省とは、自分の価値を否定することではなく、自分の心と言動の過ちを認めて修正するとともに、自分の価値や可能性を信じて前向きになること。謙虚さや反省とは、自己の価値や可能性や希望を信じ確認することであり、また、自己の価値や可能性や希望を信じ確認できるからこそできることでもある。)。この上なく愚かなことであるから痴と言える。

「慢」とは、強引に、安易に、承認欲求を満たさんとして、虚勢を張ったり、上から目線で他人を見下したり、あらを探したり、ことあるごとに批判したり、馬鹿にしたり、偉そうな態度をとったり、横柄な言動をとったりすること。また、自分のみが正しいとして、人の意見を聞かず、自分の見方、判断、意見、主張に固執すること。頑迷なこと。

「疑」とは、望むほどには、求めるほどには、理想とするほどには認めてくれない、承認してくれない周囲の人々や社会に対して疑心暗鬼となり、「嫌われている。無視されている。仲間外れにされている。憎まれている。非難されている。迫害されている。」といった被害感、被害妄想を膨らませること。

「怖」とは、①「疑」によって生じる底無しの寂しさや不安をともなう恐怖感のこと。②すべての人から認められたいと思うがゆえに、自分を評価しなかったり、敬遠したり、嫌悪したり、批判したりする人がいることを、繰り返し思い詰め、恐怖し、悲嘆し、絶望すること。③好意や優しさや愛情を得たい(承認されたい)と思うあまり、嫌われることを極度に恐れ、怯えること。心からの好意や愛情や感謝からの自然でさりげない態度や言動(相手は、深い喜びや幸せを感じるため、お互いに好意を抱くようになり、友情や恋愛が成立する)ではなく、嫌われることへの極度の恐怖感から、不自然な態度や言動によって、相手に、過剰に、合わせたり、媚びたり、おせっかいを焼いたり、与えたり、奉仕したりすること(相手は、本能的に、疲れたり、不快に感じたり、嫌悪感を抱いたりするため、関係は続かない。うまくいかない人間関係、特に男女間でよく見られる状況)。

以上、承認への過剰な執着や欲望と、そこから派生する六毒は、この世において、ありとしあらゆる諍いと憎しみと闘争のドラマを生む悪魔的なるものの根源的なる力となる。

勇ましい以下のような気概を、内に秘めていたいものだ。

「人や社会一般の言うことに耳を傾け、素直に、学ぶべきは学び、参考にすべきは参考にし、守るべきは守らなくてはならない。社会人として生きるうえで、それは、そのとおり。しかし、そのうえで、『我のすること我のみぞ知る』(坂本龍馬)。せっかく、俺は俺として生まれてきたのだ。人生数十年。たとえ人に嫌われようが(※6)、俺がよりよき時代を切り開く先達になるというくらいの勇ましく雄々しい気概をもたないでどうする。それによって、批判され、非難され、疎んぜられ、斬られて死ぬなら、それも本望だ。自分を殺して、本来のよき衝動を宿している自分を押し殺して、『死んだ自分』を生きるよりましだ。たとえ、死んだとしたって、どっちみち、生まれる前は死んでいたんだ。人間は皆死んでいく。死んで無くなればそれまでだし、永遠の生命があるのなら、もとの世界に還るだけのことだ。」

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